こんにちは、Shin(@Speedque01)です。ぼくは仕事も一生懸命やりたいですし、家族との時間も欲しい、お金もたくさん稼ぎたいし趣味の時間も取りたい、というだいぶ欲張りな願望を持っています。
最近流行っているのが「仕事はそこそこでいい、それよりも家族とすごす時間や趣味にかける時間を増やして真に充実した生活を送りたい」という、いわゆるプライベートに傾いたワークライフバランス論です。
人の生き方はそれぞれですから別にいいのですが、上記のような生き方をして本当に「充実」するのでしょうか。1日8時間程度を費やす仕事に対して「そこそこ」な態度を取っていたら、結果も出ないしつまらないのではないのでしょうか。
長時間労働を是とするわけではありません。ただ、「仕事はそこそこ、家庭が大事」という価値観にも違和感があります。
そんなときに読んだのが三田紀房氏の「『ここ一番』に強くなれ!」でした。
大人気漫画家の三田氏が書いたビジネス書であり、お値段は驚きの324円。非常にコストパフォーマンスが良い本です。
全章で勉強になることが多かったのですが、特に「そうそう!」と頷いたのがSTEP4の「積極的に公私混同しろ!」でした。
仕事とプライベートは対立しない
そもそも「プライベート」ってなんだ?
ひょっとして「仕事以外」の総称がプライベートだと思っているんじゃないのか?
もし、プライベートの定義が「仕事以外」だとしたら、人は一生幸せになんかなれない。
仕事とプライベートは永遠に対立したままで、常にどちらかに偏った状態、つまり常に不満や不安、焦りや寂しさを抱えたまま生きていくことになる。仕事が忙しくなればプライベートが不足していることになり、プライベートが忙しくなれば仕事がおろそかになったり、やる気がなくなったりする。
だから、はっきり言っておこう。
仕事とプライベートは対立する概念ではない。
仕事はプライベートであり、プライベートは仕事なのだ。
互いに密接に絡みあったものが、仕事でありプライベートなのだ。
それを無理に線引きして区別しようとするから、バランスに悩んだり、生き方そのものに迷いが生じたりするのである。
「ワークライフバランス派」の主張をまとめると、「仕事に偏りすぎだった生活を改め、もっとプライベートを充実させましょう」になります。これ自体は反駁しがたいものに聞こえます。ただ、このように「ワーク vs ライフ」という対立関係で物事を捉えると、「どちらかが充実するとどちらかがダメになる」という状況に陥ってしまいます。
ワークを充実させればライフに割くリソースがなくなってしまうし、ライフに割くリソースがなくなればワークがおろそかになっていく。このフレームで仕事とプライベートを捉えているかぎり、ぼくたちはいつでも何らかの不満を抱えるしかないのです。
そうではなく、ワークとライフを渾然一体として捉え、双方の満足度を極大化することはできないでしょうか。どちらかではなく、両方とも取ってしまえばよいのです。
出世したくないヤツは去れ!
俺に言わせれば、「出世したくないヤツは去れ!」である。
出世欲とは腹を空かすのと同じくらい健全な欲望であり、向上心である。その向上心もないまま会社に居座られても、周りが迷惑するだけだ。
実際の話、「プライベートを充実させるために仕事で手抜きをする」というのは、本末転倒もいいところで、決してプライベートの充実にはつながらない。家で過ごす時間が増えたとしても、趣味に費やす時間が増えたとしても、真の満足は得られない。
なぜなら「それでも働かないといけない」からだ。
一日八時間なら八時間、クソ面白くない仕事をして、上司の小言を聞いて、クライアントに頭を下げ、同僚から冷たい目で見られないといけないからだ。
出世のメリットは、給料が上がることではない。「自分の裁量でやれることが増える」ということ、つまり会社という「公」の場に「私有地」を持てることが、出世の本質なのである。
ずっと平社員のままなら、いつまでも私有地は与えられない。
居心地の悪い空間で、誰かに言われたことを、言われた通りにやらなければならない。責任は小さいかもしれないが、まったく面白いものではない。
だから「プライベートを充実させるために、仕事で頑張って出世する」というのなら、大いに賛成する。会社の内外に私有地をつくり、自分が自由に振る舞える場所を確保する。これはまさにプライベート(私)の充実だ。
これこれ。会社の中である程度の権限を持てるようになると、自分の思ったように仕事ができることが多くなっていきます。それこそが出世のメリットなのですが、「出世してもほとんど給料が上がらない」->「出世なんてしなくてもいい」という論理がまかり通っているのがどうもなーと思っていたところでした。
権限がない状態で会社に勤めるのは、正直メチャクチャ辛いです。何をいっても叩き潰され、欠片も尊敬できない上司や先輩の前でニコニコしていなくてはならず、一挙一投足を監視されている気分になります。飲み会の幹事もしなくてはなりませんし、早く帰る際も上司の顔色が気になったりします。
仕事も自分の裁量はほとんどないので、面倒くさくて大変な作業ばかり振られます。しかも大して付加価値もなく、美味しいところは上司が持っていきます。
いやですよね、こういう状況。「サラリーマンなんてクソだ!」という人の気持ちも良く分かるのです。こんなの誰でもイヤです。
こういう状況から抜け出すためには、自分が上に行くしかないのです。自分が上に行って権限を持ち、チームを率いて自由に付加価値が高い仕事をする。そうやって結果を出していればさらに社内での発言権も上がり、休みも自由に取れるようになる。
こうできれば、仕事も家庭も充実しているといえるのではないでしょうか。
「プライベートの充実」を掲げて仕事に手を抜いた場合、いつまでたっても権限を手に入れることはできません。その結果、職場で毎日居心地の悪い思いをせねばならず、自由に休みを取ることもままならなくなってしまいます。「ワークライフバランス」が悪い意味で取れてしまっている状況ですね。
仕事場を「俺の部屋」にしろ!
女性社員の机を見てみるといい。 ぬいぐるみが置いてあり、パソコンにはシールが貼られ、キャラクター物の卓上カレンダーがあり、カラフルな文房具が所狭しと並んでいる。もちろん手鏡だってあるし、休憩タイムだといって「おやつ」まで食べはじめる始末だ。
彼女たちにとって、オフィスは「わたしの空間」であり、公私混同なんて当たり前のことなのだ。
だから、うまく公私混同を進めていくには、彼女たちを見習うといい。
机の上に「仕事とは無関係なもの」を置きまくり、自分の半径五〇センチを「俺の部屋」にしてしまう。スポーツ新聞が置いてあっても、週刊誌が置いてあってもいい。そして腹が減ったらおやつタイムをとっても構わない。
そうやって周辺の環境を変えていってこそ、内面もついてくるのだ。 戦略的な公私混同ができるようになるし、家に帰ってからも「仕事の延長」という気分を保つことができる。 オフィスが「公の場」で、家だけが「俺の部屋」になっているからこそ、家に帰ると気が抜けるのである。
これはメチャクチャ面白い発想ですね。
自分の部屋から集中力を削ぐようなものを排除し、職場に近づけることで集中力を増すライフハックはありますが、逆は聞いたことがありません。でもたしかに、職場の机をまるで自分の部屋のようにできたら、考え方がかなり変わってくるかもしれませんね。
今まで無意識に「仕事の自分」と「職場の自分」を分け、その違いに苦しんできた人には特に効果的なライフハックなのではないでしょうか。
ぼく自身、仕事になると「真剣にならねば」という意識が強く働き、少々ムスッとしながら働いてしまっている自覚があります。それが悪いとはいいませんが、周りにも自分自身にもストレスを与えてしまっている可能性は否めません。
自分の私物を持ち込んで職場を私物化する、というのはとても面白いですね。ぼくもやってみようかな。
「ワークライフバランス」に違和感を持つ人は読んでおきたい一冊。
「自分の仕事が終わっていないのにもかかわらずさくっと帰ってしまう昨今の若者」がニュースになっていましたが、仕事についてはもっと深く考える機会があってよいとぼくは考えています。
プライベートが大事だから仕事は適当でいいや、という考えは確実に自分の首を絞めることになります。「『ここ一番』に強くなれ!」の主張は一見過激ですが、実は非常にまっとうです。
働き方に悩んでいる方は、ぜひご一読下さい。