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こんにちは、Shin(@Speedque01)です。2016年下期の直木賞に、恩田陸氏の「蜜蜂と遠雷」が選ばれました。一言で言うと、最高。貪るように一気読みしました。
こちらです。
Amazonでの紹介文はこちら。
舞台は芳ケ江(よしがえ)国際ピアノコンクール。3年ごとに開催され、6回目を迎えるこのコンクールは、優勝者が世界屈指のSコンクールでも優勝した実績があり、近年評価が高い。コンテスタント(演奏者)や審査員たちだけでなく、調律師やテレビの取材者など、さまざまな人間の生き方、考え方が交錯し、白熱する。
顔触れは華やか。ジュリアード音楽院の学生で19歳のマサル。天才と呼ばれたが、母の死後ピアノから遠ざかっていた20歳の栄伝(えいでん)亜夜。楽器店に勤める28歳の高島明石(あかし)。ことに人々の注目を集める少年、16歳の風間塵(じん)は、音楽教育をほぼ受けたことがない。ピアノも持っていない。養蜂を仕事とする親と移動生活をしている。えっ、養蜂? けれど、突拍子もない設定では、という疑問が入りこむ隙を与えないストーリーの運び方はさすが恩田陸だ。
塵は、いまはなき音楽家のホフマンから「ギフト」と称され、推薦された注目の若手。その推薦状が面白い。「甘い恩寵(おんちょう)」ではなく「劇薬」とも呼ばれるのだ。「彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう」と。第一次、二次、三次、本選。2週間にわたるコンクールだ。曲はバッハの平均律に始まり、モーツァルト、リスト、ショパン、ブラームス、バルトーク、プロコフィエフなど。
手に汗握る審査発表、歓喜と落胆。だが、このコンクールに塵がもたらすものは、もっとスケールの大きな、音楽に対する愛情だ。「狭いところに閉じこめられている音楽を広いところに連れ出す」という塵の言葉は本作の要といえる。
演奏者の心を他の演奏者の音楽が揺さぶり、感動が音楽への新たな感情を生む。希望という方向へストーリーが素直に整っていくという意味では、青春小説と呼ぶこともできるだろう。2段組みで5百ページ以上あるが、先へ先へと読める。著者のストーリーテラーとしての実力が見事に示された長編だ。
ぼくはあまり音楽に造詣が深くないため、最初は物語に入り込めるかどうか非常に不安でした。しかし、少し読んだだけでそんな不安は吹き飛びました。
恩田陸氏の圧倒的な表現力は、まさにピアノの音が本から聞こえてくるかのような錯覚を起こさせ、登場する天才たちのぶつかり合いに手に汗を握ります。
話を一言でまとめると、「マサル、亜夜、塵、明石の4人のピアニストたちが、コンテストで優勝を目指してぶつかり合う。」ということなのですが、もうその過程がすばらしすぎて胸が熱くなり、涙腺が緩みます。
「蜜蜂と遠雷」のあらすじ/登場人物紹介
あらすじを書こう・・・と思ったのですが、先述のとおり話は非常にシンプル。4人のピアニストたちが芳ケ江国際ピアノコンクールに出場し、自分のバックグラウンドを振り返りながら優勝を目指していく、というもの。
それで終わりだとさすがに寂しいので、メインとなる4人のピアニストの紹介をしていきます。
風間塵
数多いるピアニストの中でも伝説的な存在であった、ユウジ=フォン・ホフマン。彼は密かに弟子を取っており、死ぬ前に弟子のための推薦状を書いていた。
皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。恐らくは、天から我々への。
だが、勘違いしてはいけない。試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。
彼は劇薬なのだ。
中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。
ユウジ=フォン・ホフマン
ホフマンが残した一通の推薦状を携え、『ギフト』もしくは『災厄』である風間塵は芳ケ江国際ピアノコンクールに赴く。
彼の父親は養蜂家であり、塵はその手伝いをしながら各地を回っていた。彼は、ピアノを持っておらず、そのため正規のレッスンも受けていなかった。その才能を偶然ホフマンが見出したのだ。
彼の演奏とはいかなるものか。そして、「『ギフト』となる可能性もあり、『災厄』となる可能性もある」というホフマンの言葉の意味とは。
栄伝亜夜
かつて、天才の名をほしいままにした一人の少女がいた。彼女の名前は、「栄伝亜夜」。ジュニアコンクールをその圧倒的な実力で制覇し、CDデビューも果たす。
しかし、その絶頂のとき、彼女をずっと導いてくれた母が死去。亜夜は、母の死後最初のコンサートで、「ピアノが弾けなくなってしまっていた」。
いつも駆け出したいのをこらえなければならないほど、彼女はあの箱の中に詰まった音楽を見ていたのだ。そして、彼女がいきいきとした音楽を取り出すことを、何よりも、誰よりも喜んでくれる母がいた。
しかし、今は。
がらんとした、空っぽの、墓標。しんと静まりかえり、ひたすら沈黙と静寂に身を委ねている黒い箱。
あそこにもう音楽はない。あたしにとっての音楽は消えた。
冷たい確信が重い塊となって、彼女の中にすとんと落ちたとたん、彼女はくるりと踵を返していた。
視界の中に、驚くオーケストラの団員と、ステージマネージャーの顔が見えたが、彼女は一度も振り返らず、スタスタと、やがて小走りになって、ステージを降りていた。
客席のざわめきも、誰かの叫び声も耳に入らなかった。彼女は走って、走って、走った。 人気のないホールの裏口のドアを押し、雨のそぼ降る暗い屋外に、一目散に飛び出していったのだった。
かくして、彼女は「消えた天才少女」となり、いつしか20歳となっていた。
そんな亜夜が現在通っている大学の学長であり、恩人でもある浜崎の勧めで、芳ケ江国際ピアノコンクールに出場することに。
かつての「天才少女」、その実力に否が応にも注目が集まる。果たして亜夜はどのような演奏をするのだろうか・・・!
高島明石
高島明石、28歳。図抜けた天才少年ではなかったが、将来を嘱望され、音大に進んだ彼。日本で最大規模のコンクールで、五位入賞したのが彼の最高の実績だ。
プロにはならず、コンクールからは長いこと離れていた彼。仕事をしながら、今回の芳ケ江国際ピアノコンクールへの出場を決めた。ここ一年寸暇を惜しんで練習してきたとはいえ、世界中でずっと訓練をしている若い音大生とは練習量の差は歴然としている。
このコンクール出場が、彼の音楽家としてのキャリアの最後になることは明らかだったし、それ以降は音楽好きなアマチュアとして残りの音楽人生を生きていくことになるのだろう。
でも、明人が大人になった時のために、パパは「本当に」音楽家を目指していたのだという証拠を残しておきたい。それが決め手だった。満智子や雅美、両親にもそう説明した。
いや、本当は、違う。
明石の中のもう一人の自分が、呟く。
それは口実だ。
そいつは、そう指摘する。
おまえは怒りを持っているはずだ。疑問を持っているはずだ。つねづね、おかしいと思っていたはずだ。
「俺が俺が」と言わないおまえ、デリカシーがあって優しいおまえ、そんなおまえが心の奥底に押し殺していた怒りと疑問。それをこのコンクールで吐き出したいと思っているのではなかったか。
そうだ、と明石は答える。
俺はいつも不思議に思っていた──孤高の音楽家だけが正しいのか? 音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか? と。
生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか、と。
やさしさの中に怒りを抱えた彼。天才たちを前に、どのような演奏を見せるのだろうか。
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール
全米随一の音楽大学、ジュリアード。そこでもっとも人気かつ実力が高いピアニストが、「マサル・カルロス・レヴィ・アナトール」、通称マサルである。彼は「ジュリアードの王子様」という異名も持ち、押しも押されもせぬコンクールの優勝候補である。
マサルがはじめてピアノに魅せられたのは、日本で小学校に通っていたとき。「アーちゃん」という女の子に偶然出会い、一緒にピアノを練習することになる。
マーくん、迎えに来たよ。
少女は一つか二つ年上だった。キラキラした大きな目に長いまっすぐな黒髪。
うーん、うん。
マサルは、わざといつも玄関でぐすぐずして気が進まないふりをするのだった。
すると、少女はサッとマサルの手を取って、先に立って歩きだす。マサルは彼女がそうしてくれるのを待っているのである。そのすべすべした手の感触にうっとりしながら、二人はピアノのレッスンに行く。
そして、その後もずっとピアノの鍛錬を続け、今では超一流のピアニストになり、芳ケ江国際ピアノコンクールに乗り込む。そして、小学校のころ偶然出会った「アーちゃん」の正体とは・・・?
「蜜蜂と遠雷」の魅力その1:登場人物
「蜜蜂と遠雷」がすばらしい点は、何をもってしてもまず登場人物です。
先ほど紹介したとおり、4人のピアニストたちは全員背景がバラバラですが、共通しているのは「ピアノが大好き」かつ「とてもいいやつ」というところです。
彼らに限らず、彼らをサポートする師匠や審査員、調律師やステージマネージャーに至るまで、とてもキャラ立ちしていて、しかもすばらしいパーソナリティを持っている人たちばかり。読んでいてとても幸せになります。小説にはいろいろな種類がありますが、ここまで安心できる読めるものはあまりないなと心底思います。
明確な悪役や倒すべき敵、ライバルがいないと盛り上がりに欠けるのではないかという印象をもたれてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。第一次予選から本選に至るまで、非常にハイレベルなコンテストが繰り広げられており、この4人以外にも目立つプレイヤーはたくさん出てきます。
この4人がメインとはいえ、最後まで彼らが残れるのかどうか、読み手としては判断がつきません。どこで誰が落ちてもおかしくない、そんな緊張感があります。
そして、本選でもいったい誰が優勝するのか、最後の最後までわかりません。が、最後に結果を見ると、とても納得できるいい結果に収まっているのもすばらしいです。
登場人物たちの魅力でぐいぐい引っ張り、安心感や熱情、憧れなどさまざまな感情を追体験できる、そんなところが「蜜蜂と遠雷」の魅力のひとつですね。
「蜜蜂と遠雷」の魅力その2:圧倒的な臨場感
2点目にあげたいのは、圧倒的な臨場感です。
恩田陸氏の作品はこれまであまり読んでこなかったのですが、この方の文章力は上記を逸しているレベルです。冷静に考えてみていただきたいのですが、「ピアノコンサートを文章上で表現する」というのは並大抵のことではありません。音なしに文章だけで、それを伝えるというのは想像以上に難しいことです。
下記は、マサルの演奏を描いた一節です。
マサルはバルトークを弾くたびに、なぜかいつも森の匂い、草の気配を感じる。複雑な緑のグラデーションを、木の葉の先から滴る水の一粒一粒を感じる。
森を通り抜ける風。風の行く手に、明るい斜面が開けていて、そこに建てられたログハウス。バルトークの音は、加工していない太い丸太のよう。
ニスを塗ったり、細工を施したりはしていないが、木目そのものの美しさで見せる、大自然の中のがっちりした建造物。力強い木組み。素材そのものの音。
森のどこかで斧を打ち込む音が響く。規則正しく、力強いリズム。叩く。叩く。腹の底に、森の中に響く振動。
心臓の鼓動。太鼓のリズム。生活の、感情の、交歓の、リズム。叩く。叩く。指のマレットで、木を叩く。
叩き続けているうちに、トランス状態になる。より力がこもり、打ち込む勢いは増す。いっしんに。無心に、まっしろになって、叩く。
最後の一撃を加え、短い残響を残して音は止む。
静寂。森のしじま。
まるでその場に自分がいて、音が聞こえてくるような、そんなすさまじい表現力です。コンサートの課題曲を、ぜひ聴いてみたいという気持ちにまでさせてくれます。
文章だけで「音」を感じるというのは、初めての体験でした。
「蜜蜂と遠雷」、これは傑作だ
上記で紹介した4人のピアニストが、第一次予選、第二次予選、第三次予選、本選とコンクールを戦い抜いていく。それだけといえば、それだけの話です。
それだけなのに、とてもとても面白く、手に汗を握り、登場人物の苦悩に心を動かされる最高の体験ができる、それが「蜜蜂と遠雷」なのです。
『ギフト』および『災厄』といわれる塵の天衣無縫、かつ圧倒的な迫力で繰り出される演奏。その演奏にすべての天才たちや審査員が翻弄され、物語は動いていきます。
彼の演奏のみならず、栄伝亜夜の「天才少女」である意味がまざまざとわかる演奏、高島明石の血のにじむような鍛錬が実を結ぶときの感動、マサルのバランスの取れた天才性と危うさ、すべてが臨場感たっぷりに押し寄せてきます。
何よりすばらしいのは、著者の恩田陸氏の圧倒的な文章力です。
ぼくはピアノのことはほとんどわかりませんが、それでもまるで音が聞こえてくるかのような錯覚があるのです。コンサート会場に自分がいて、そばで天才たちの会話を聞き、そのコンサートで一緒に盛り上がる、そんな体験ができます。
ただ本を読んでいるだけなのに、ここまで心が動かされるとは。本当にすばらしい体験でした。
まさに傑作。これはすぐさま読むべきと断言します。
恩田陸氏のインタビュー
また、「蜜蜂と遠雷」について、著者の恩田陸氏がインタビューを受けていました。
「モデルとなった3年に一度開催される浜松国際ピアノコンクールは第6回から聴き始めて、並行して原稿を書きながら第9回まで通いました。おかげで多少は耳が肥えたと思いますが、技術的にはほとんど差がないのに、最終の本選まで残れる参加者はほんのわずか。才能ってなんだろう? 天才ってなんだろう? って、この小説を書きながらずっと考えていました」
さらに執筆の上で苦心したのは、コンテスタントらが各ステージで弾く、プログラムを決めることだ。自身も高校までピアノに親しみ、大学時代はジャズバンドにも参加した愛好家だが、登場人物同様に悩みぬいて構成した。
「演奏シーンは最初から最後まで苦しみました。特に、一次、二次とコンクールの予選が進むにつれて、一度使った表現はもう使えませんから、どんどんバリエーションが少なくなってきて、三次の辺りがいちばんつらかった。もう本選は書かなくていいんじゃないかと泣き言を言ったら、担当編集者に怒られてしまいました(笑)。大変だったけど、演奏者の内面を描くのは小説でしかできないから、意外に小説と音楽は親和性があるな、とも思いましたね」
実際に浜松国際コンクールに4回通い詰め、原稿を書き上げた恩田氏。実際に体験したからこそ書ける濃密な小説でした。
表現に苦労した、と書かれていますが、それはそうですよね・・・。よくここまでさまざまなバリエーションで表現されたな、と驚嘆するばかりです。
「蜜蜂と遠雷」はこんな人におすすめ
すべての人にお勧めですが、特にこんな人は必読です。
- かつて何かに必死に打ち込んだことがある人
- 恩田陸氏のファン
- 最近何にも感動していないな・・・という人
- 昔音楽に取り組んでいた人、特にピアニスト
ここ数年の中で、もっとも感動した小説でした。ぜひぜひ読んでみてくださいね!
2017年4月12日追記:「蜜蜂と遠雷」が2017年本屋対象受賞!
こんなニュースが飛び込んできました!
全国の書店員が“今いちばん売りたい本”を決める『2017年本屋大賞』(本屋大賞実行委員会主催)発表会が11日、都内で行われ、恩田陸氏(52)の『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)が大賞に選ばれた。同書は、1月に行われた『第156回芥川賞・直木賞(平成28年度下半期)』で直木三十五賞を受賞しており、本屋大賞史上初のダブル受賞の快挙となった。
史上初の、本屋大賞と直木賞受賞とのことです!素晴らしいですね。本屋大賞は「今いちばん売りたい本」という観点で全国の書店員が選ぶものです。確かにいろんな人に薦めたくなってしまう小説ですね。
今後ドラマ化やアニメ化もするのかな・・・。たのしみです。
★2017年7月6日、初の著書「7つの仕事術」をダイヤモンド社より刊行します!