こんにちは、Shin(@Speedque01)です。ぼくは考えていることがいっつもフラフラするのですが、そのフラフラの最たる例が「全部欲しい」と「何もいらない」の両極端な感情です。
ぼくは基本的にプライドがとても高いですし、欲張りです。せっかくこの世に生を受けたからには、いろんなことをやりたいし、美味しいものを食べたいし、お金も稼ぎたいし、人のためにもなりたいと心底思っています。
日本という非常に豊かな国に五体満足で生まれ、ちょっと動けばなんでもできる環境が揃っているのですから、体力と気力の続く限りがんばっていろんなものを手にしてやろう、そう思いながら日々過ごしています。
なんのために努力する?
でもやっぱり、
「何のために頑張っているんだろう」
という禁断の問いにとりつかれてしまうこともあります。
もちろん、それっぽい答えはいくらでも用意できます。
- 今頑張ればさらにいいことが待っている
- 新しい知識や力を手に入れたらもっともっと自由になれる
- ちゃんとお金を稼げばおいしいものが食べられる、奥さんをもっと喜ばせてあげることができる
- そもそもがんばること自体が楽しい、充実感がある
上にあげたような答えはもちろんウソではありません。というか、本心です。
でも、それでも疑問のど真ん中を射抜いた気は、なぜかしないのです。
「ぼく」と「彼ら」は実は似ている
ぼくのような欲張りな人とは対照的に、「何もいらない」といいながら日々過ごす人も最近増えているようです。ミニマリスト、スローライフ、などなどの単語がぴったりくる感じ。
仕事は最低限、モノは持たない、人間関係も別にいらない、日々ただただ生きていく、そういう生き方をする人がだんだんと目立つようになっています。
その生き方をしている人について、文句を言う気も筋合いもありません。自分で納得がいっているのであれば、それでいいと思います。
でもぼくは、彼らもぼくと同じで正反対の悩みを持っているように思えるのです。
ぼくは普段いろんなものを手に入れようと一生懸命ですが、ふと「なんでこんなことしているんだろう、本当は何もいらないんじゃないかな・・・」という想いに囚われることがあります。
逆に彼らは、「何で自分は何も持たない生活を選んだんだろう、もっといろんなモノが欲しいのに・・・」と思ってしまうことが、実はあるのではないでしょうか。
「全部欲しい」と「何もいらない」の狭間でもがく
「すべてが欲しい」と心から思っている人がほとんどいないのと同様に、「何もいらない」と迷いなく考えている人もいないはずです。
みんなその中間で迷いながら、いろいろ考えたり逆にあえて考えないようにして、おそるおそる、アクティブに動いたり何もしなかったりしています。
ぼくはやっぱりできることは全部したいですし、得られるものは全部得たいです。でもその一方、「何もしない、持たない幸せ」というのもあるのかもしれない、とも感じます。
たまにはその狭間に飲み込まれつつ、ライフハックも意味も結論もない文章を書くのも悪くないですね。