読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Outward Matrix

戦略コンサルタントのブログ。コンサルティング業務、英語、戦略策定、採用、育成等について書いています。

MENU

「また、桜の国で」感想とあらすじ。戦争を見事に描ききった傑作だった。

スポンサーリンク

こんにちは、Shin(@Speedque01)です。2016年下期の直木賞候補作に、須賀しのぶ氏の「また、桜の国で」がノミネートされていました。

第二次世界大戦の少し前から、もっとも戦闘が激しかった時期を描いた作品です。もちろん明るい話ではないのですが、ノンフィクションをベースにドラマティックに戦争を描いた作品で、これまた一気読みしました。

第二次世界大戦の流れはだいたい頭に入っているため、ドイツや日本などの枢軸国、アメリカやイギリス、フランスなどの連合国の辿る道はわかっています。ただ、ポーランドに関してどのようなことがあったのか、恥ずかしながら詳しくは知りませんでした。

そのため、ただドラマティックで面白い、ということにとどまらず、第二次世界大戦中何があったのか、ナチスは何をしたのか、日本は何をしたのか。そういうことが立体的に頭に入ってくる構造になっています。また、ポーランドのことが好きになるという副次的効果もありますね。

Amazonの紹介文はこちら。

ポーランドの首都ワルシャワの郊外を歩いていると第2次大戦末期の1944年、ナチス・ドイツの占領に対して国内軍が武装蜂起した「ワルシャワ蜂起」の慰霊碑や慰霊塔をよく見かける。だがそれは、ワルシャワが体験した戦争のほんの一部にすぎない。東京とは異なり、ワルシャワでは39年の勃発から45年の終結までずっと戦争の惨劇が繰り返されたからだ。

日本でそれほど知られていないこの時期のワルシャワを舞台に、一人の在ポーランド日本大使館外務書記生の運命を描いた小説が本書である。難しい外国語や資料の制約など幾重もの壁を乗り越え、これだけのスケールをもった小説に仕立て上げた著者の構想力に心を動かされる。

言うまでもなく戦争とは国家と国家の戦いである。そこでは各人がどの国家に属しているかを問われる。誰が「友」で誰が「敵」かが問われるのだ。しかし本書に登場する主人公は、日本人でありながら同盟国であるドイツに蹂躙(じゅうりん)されるワルシャワでポーランド人とともに戦う。そしてワルシャワ蜂起では体を張ってドイツ軍の戦闘行為をやめさせようとする。

このとき、主人公と行動を共にしていたのは、アウシュビッツから奇跡的に生還したユダヤ人と、日本の敵国であるはずのアメリカ人であった。3人は民族や国籍の壁を超え、戦争の惨劇を繰り返してはならないという思いを共有するに至る。そんなことが可能だろうかといぶかしむ向きもあろう。所詮(しょせん)はフィクションではないかという声も聞こえてきそうである。

だが私はそうは思わなかった。ワルシャワは、第2次大戦の前にも分割によって国を失う悲劇を体験している。そうした悲しみの歴史に寄り添おうとする著者のワルシャワに対する愛情には、深く胸を打つものがある。この町を歩いていると、日本人であることを忘れそうになる瞬間が確かにあるのだ。

では、あらすじを書いていきます。

「また、桜の国で」のあらすじ

主人公である棚倉慎は、ロシア人の父と日本人の母を両親に持つハーフである。彼は日本で日本人として育てられたが、その外見から多くの偏見にあってきた。

彼は、ポーランドの日本大使館外務書記生となり、ポーランドと日本の関係を深めることに尽力する。そうしていく中で、同じく日本大使館で働いているマジェナや、ドイツ人に絡まれているところを救ったことで仲良くなったユダヤ系ポーランド人のヤン、何かと慎に突っかかってくるアメリカ人記者のレイ、かつてシベリア孤児で現在は司法省に勤めているイエジなどと関係を深めていく。

どんどん不穏な空気が漂ってくる中、慎や日本大使館の面々は戦争回避に奔走する。ポーランド外相とドイツ外相の面談をアレンジしたり、必死に活動していたが、その努力の甲斐なく、1939年9月1日にドイツはポーランドに侵攻した。

さらにソ連も1939年9月17日にポーランドに侵攻し、同年10月1日にはドイツとソ連がポーランドを完全に制圧、ポーランド政府は残存兵力とともに国外に脱出した。

その後、ポーランドはナチス・ドイツに支配され、想像を絶する扱いを受けることになる。国内外からレジスタンスが活動しているものの、絶望的な状況は変わらない。

そのような状況の中、慎はマジェナやヤン、レイやイエジなどと協力し、ポーランドのために戦い抜くことを決める。そもそも日本はドイツの主要な同盟国であるが、彼は人間として友のために生き抜くことを決めたのだ。

戦争の行き着く先には何があったのだろう。そして、慎、マジェナ、ヤン、レイ、イエジの運命は。彼らは、桜が咲き誇る日本で語り合うことができるのでしょうか。

「また、桜の国で」の魅力その1:精確な筆致

小説に求めることではないのかもしれませんが、ぼくはどうせならば「心を動かされた」「楽しかった」だけではなく、何らかの学びを得たいと考えてしまうタイプです。小説を楽しむ態度としては不純かもしれませんが・・・。

「また、桜の国で」は、そういうぼくのワガママに十二分に応えてくれる小説でした。主人公である慎はフィクション上の人物ですが、超重要人物の一人である「イエジ・ストシャウコフスキ」や慎の上司に当たるポーランド大使「酒匂秀一」、ポーランド共和国建国の父として物語全体に強い影響を及ぼす「ユゼフ・ピウスツキ」などはすべて実在の人物です。

圧倒的な取材に基づいて精確な筆致で繰り出されるストーリーは、どきどきしながら読んでいるだけで勉強になります。「ポーランド」という視点から見る第二次世界大戦は、今まで学んできた歴史とはまた違ったもので、非常に刺激的なものでした。

「また、桜の国で」の魅力その2:劇的な展開

「また、桜の国で」にはいくつも見所があります。

  • 慎や大使館員が戦争回避に奔走するものの、結局ドイツが攻め込んできてしまうシーン
  • 開戦後、イギリスやフランスが支援する気がないことを知り、ポーランド人が絶望に叩き落されるシーン
  • イエジが経営している孤児院にドイツ軍のパトロールが踏み込み、イエジがあやうく逮捕されかけるシーン
  • ポーランドの首都ワルシャワにユダヤ人ゲットーが建設され、あまりの非人道的な扱いにユダヤ人が蜂起するも、なすすべなく虐殺されるシーン

などなど、実際の史実をもとにしているからこその迫力とリアルさ、そして劇的な展開が息をつく暇なく押し寄せてきます。

登場人物の掘り下げもしっかりしているため、慎やヤン、イエジたちに読者であるぼくたちも感情移入してしまっているところにこのような展開が来るため、読者の感情も登場人物に合わせて揺れ動きます。

読書の魅力のひとつは、普段あまり体験することのない「感情の揺れ動き」だとぼくは考えています。その読書の魅力を余すことなく体験できるというのは、間違いなく「また、桜の国で」のオススメポイントであるといえるでしょう。

「人間として生きる」とは。

第二次世界大戦を描いた話であり、ドイツやユダヤ人などが出てくると聞くと、「ああ、また反戦モノね」と思われる方も少なくないでしょう。

もちろん、この小説の中には戦争の悲惨さを描いたシーン、目を背けたくなるむごいシーンがあります。しかし、戦争のむごさ、悲惨さを描くことがこの小説の目的ではありません。

ぼくは、この小説を読んでいる間、常に「おまえにとって『人間として生きる』とはどういうことか?」と問いかけられ続けている気がしました。

慎も、マジェナも、ヤンも、レイも、イエジも、出自や国籍、人種は異なっていますが、みな最後まで「人間として生きた」人たちでした。自分の信念を曲げず、弱気を助け、そのためには命までも投げ出す、そういう生き様を貫いた人たちでした。

それは、メインとなる登場人物に限らず、名前もないポーランドのレジスタンスやユダヤ人、戦争回避のために奔走した日本人たちも一緒です。そういう人たちの生き様を思い、心が震える傑作でした。

文中で、マジェナが慎に宛てた手紙があります。

離れていても、私たちはひとつの心で結ばれています。

あなたは言いました。外交とは、人を信じるところから始まると。誰かに与えた無償の愛は、必ず倍になって返ってくると。日本とポーランドの中には、そうして培われたものがあるのだと。

幼い私たちを、かつて日本人が救ってくれたように、私もまた、ユダヤ人を救うでしょう。この命を賭して。

戦争が終わって、また「日本の夕べ」を楽しめる日が来ることを、願っています。

どうか、お元気で。

人間として生きる、というのはなんと激しく、苦しく、そして美しいものなのか。必読の傑作です。

 

★次はこの記事をどうぞ